過剰だった欲、過剰になる予定の欲
さっきふと思ったことがある
それは
「人生の大きな流れの中で欲が減ってるのではないか」
ということだ
箇条書きで簡単に説明したい
・心理学に発達心理学という分野がある
(人の成長には段階があり飛び級はできない、というもの)
・欲求も同様に子供のころに満たされなかった欲求は歳を取っても心の奥底に残り続ける、という考えがある
(と言ってもネットで見た覚えがある程度のものだけど)
・私は子供の頃ビデオゲームが好きで今年も数ヵ月前くらいに空いた時間全てを捧げていたこともあったけれど、満足にプレイした後全くプレイしなくなっている
(これは思いきりビデオゲームをやりたいという過去の欲求が満たされた、ということなのではないかと思えたのだ)
・そして今回はCD(から抽出した楽曲データ)を集めることに満足したのか飽きたのか、という状態に至っている
(これは子供のころの何かを収集したいという欲、音楽を思いきり楽しみたいという欲、が満たされたということなのだろうか)
つまり、音楽(データを収集すること)に対する熱が冷めつつあるのだ
ツタヤディスカスやぽすれんで次に借りるCDをどうしようと探していても欲しいと思えるものがあまりない、借りる依頼をしてからの待ち時間が辛い、聴くより曲をインポートしてる時が一番楽しんでるように感じられる
といった状況なのだ
このことを別に悪いとは思わない
むしろここ最近過剰な欲求に動かされていたように思えたからちょうどいいのだと思う
そして今度の過剰な欲求対象となりそうなものが
「色欲」だ
ビデオゲームと音楽(というか収集癖)に関する欲が満たされたところで過去からまだ満たされていない欲で心当たりがあるとすれば異性との交流くらいしかない
中学の時学校では親しく交流する女子はいたけれど個人的に交流することはなかった
高校は男子校だったのに加えて容姿や能力に対する劣等感が高まっていた時期だったから全く縁がなかった
大学の時も理系大学だったのと高校の時に育まれた劣等感が更に高まっていきそれのピークだったため掴もうとすれば掴めたかもしれない機会を完全に逃してしまった
そして無職時代からのおばさんばかりの職場での労働という流れだ
これでは望みなんて持てない
少し前に出会い系サービスを利用し始めたが、これはつまり満たされないまま心の底で眠っていた欲が表面化してきたということなのではないか、と考えられたのだ
だから私が今幸福度を高め欲求不満を解消するには異性との接触を図って色欲を満たすことが一番なんだと思った
そしてこれが満たされた先にはまた別の欲が生まれるのかここで満たされたことで欲から解放される方向に向かうのか
個人的には後者であって欲しい
欲があると満たされるまで苦しいからだ
無欲にはなれないだろうが大きな欲は身を滅ぼす
私は欲から解放されるために欲に向き合う