「嫌なこと、やりたくないこと」について考える
ギャンブルは過去のうまくいった体験が中毒性を生む
そう聞いたことがある
それを聞き考え事をしているうちに人が現状維持をしようとするのは過去の経験が大きく関わっているのではないかという結論に至った
うまくいった、良い思いをしたことは習慣とか趣味、自信のあることに進化していく
逆に失敗に終わったこと、嫌な思いをしたことは苦手なこと、自信のないこと、やりたくないこと、避けたいことに変わっていく
赤ん坊は気になるものならどんなものでも手を伸ばして触れたり危険なところにでも行ってしまったりする怖いもの知らずとも言える特徴がある
その時期は過去の経験がゼロで何事も学ぼうとする時期だからであろう
そして体験と共に好き嫌いが生まれ、安全危険を学び、することしないことの傾向が生まれてくるのだろう
今の自分は過去の自分の積み重ねだ
今の自分がつい手を伸ばしてしまうことは過去に体験して良い思いをしたことで、やろうとしないことは過去に嫌な思いをした、あるいは良い思いをしたことがないことだと考えることができる
自分の意志であってもそうでなくてもやりたくない嫌なことをやらざるを得ない場面があることだろう
それは過去に体験した嫌なことを思い出しているのかもしれない
そうでなくても未知のことだったり過去に良い思いをしたことがなかったりすることなのかもしれない
そんなことはやりたくなくて当然だと思う
だから嫌なことをするというのは大変なことでありそれをやる、やろうとすることは立派なことだ
私は人との私的な交流を築きたいと思いながらも面倒くさがって一人怠惰な休日を送っている
人との交流を避けてしまうようになってしまった出来事がいくつか思い浮かぶ
それでも避けてばかりはいられない
だからまずは嫌なことというのはそれだけ腰の重いことであることを理解しそれでもやろうとしている自分を称賛したい
そしてこの記事を読んでいるあなたにもエールを送りたい
同士よ、共に頑張ろう
そして困難に立ち向かうその志に乾杯