ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

怒りを吐き出す

昨日今日で2冊本を読んだ

 

「怒れない人」の心理 (PHP文庫)

「怒れない人」の心理 (PHP文庫)

 
すべての罪悪感は無用です

すべての罪悪感は無用です

  • 作者:斎藤 学
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

今2冊読み終わって思ったのは

「全てのかくあるべき(あるべきではない)はその人の中にしか存在しないものなのではないだろうか」

ということだ 

 

1冊目には「人の扱いを区別する(八方美人をやめる)こと」や「過去に関わってきた人の中で当時いい顔していたが今となっては嫌いな人、殴りたい人などを思い出し一人ひとりに嫌いと書く」というようなことが書かれていた

 

2冊目には「4年に一度パートナーを変える人がいてもいい、同性のカップルがいてもいい」「だれかのためでもなく自分のための、誰からもダメ出しをさせず誰にも責任をゆだねることもない自分だけの人生を歩める」というようなことが書いてあった

 

1冊目の嫌いな人を挙げるワークをやってみた

 

私は思い浮かべた10近くの人の中で、高校の時の部活の顧問と担任の教師が嫌いで、高校の時のちょっとヤンチャなクラスメイトと中学の時に同じ学習塾に通っていた同級生なら会ってやってもいいかなと思っているであろうことがわかった

 

私が属していた軽音楽部の顧問は頭がカチカチで偉ぶっているように見えるのが嫌だった

能力は高く業績があって称賛する人が多くて、自分もそのように振舞っていたが、自分の好きなものを否定するような考え方を持っていたのが気に食わなかった

と、なんでその人を嫌っていたのか今この記事を書いていて明らかになった

 

あの人は昔ながらの洋楽を尊重していた

良い音楽を聴こうという鑑賞会があり、そこで流される曲を全然好きになれなかった

全員感想を言うということになったのだが、思ってもいない好評コメントを言わざるを得なかったことは今となってはとても屈辱的だったと思える

 

当時私はアニソンのテクニカルなギターが好きだったのだ

音数が多く精巧な速弾きが好きだったのだ

音が大味な盛り上がりのない退屈で古臭い音楽は嫌いだったんだ

それなのにそれを好きであるかのようにしなくてはいけないなんてそれはとても苦しかった

 

と、今なら思える

 

それでも部活を辞められなかったのは母から何事も継続することを強いる呪いがかけられていたからだと言える

 

 

今の俺の価値観は過去に関わってきた人から吸収してきた多種多様な価値観の集合体だ

今まではそれが絶対であったと思い込んできたが、その全ては相対的だ

 

俺は怒れるんだ

怒ってもいいんだ

ここからは俺の人生だ