Ambivalent Feeling 2人の自分
今を大切にする≠今をテキトーな娯楽で埋め尽くす
自分が本心から求めることのためなら客観的に見てかなりきついことでも耐えられちゃうのでは?
主体的に人生の選択をできれば結果はそこまで重要じゃない、やらない後悔よりやる後悔?
昨日の夜そんなことを考えていた
私の休日(平日の仕事終わりの時間)は「退屈だ」なんて言いつつ手慣れたいつもの習慣ともいえることをして過ごすばかりだ
私の人生にはおそらく難しいことでも簡単なことでも冒険、挑戦が足りない
やり慣れたことは安心してできる
大体どんな結果に終わるのかもわかる
心身を休めるのにそういう安心してできることをして過ごすというのは決して悪いことではない
しかし、そればかりでは退屈なのは当然だろう
やり慣れているいつもの日課は本当にやりたくてやっていることなのか?
少しはやりたい気持ちはあるだろうが休日の一日を丸々使うほどではないだろう
普段やらないことをすると多かれ少なかれ頭に刺激が入る
やる前にこんなものだろうと思っていてもいざやってみるとその通りにならず、思わぬ発見がある
だから、頭では冒険しよう、挑戦しようと思えるのだ
だが、心がそれを望んでいない(どんな結果になるかわからないのが恐い)からか休日をいつものように過ごしてしまう
「休」む「日」と書いて休日なのだから普段通りの落ち着いた時間の過ごし方でもいいのかもしれない
それでも物足りなさを感じる自分もいるのだ
今日もいつも通りの一日で終わってしまうのか