現代の人間を一番殺している凶悪犯
今日もひたすらビデオゲームに明け暮れていた
昨日の憂鬱さが嘘のようにすっきりした気分だ
理由はわからない
ただ、今日は「もうゲーム三昧の一日でいいかな」と諦めて過ごした
それが気分爽快の理由なのかもしれない
「すべき」、「かくあるべき」は人を縛りつけ全ての人を平らにする
そして、個が殺され感情が殺され希望が殺される
それらに押し潰された人は本当に「すべき」命を奪われる
休日を楽しめない時はすべきに支配されているからなのだろう
すべきがなくなればビデオゲームに打ち込んでも罪悪感なく楽しめるのだろう
こんな日を過ごす中で自分の小、中学(高校半ばくらい)までの時の生活を思い出した
当時はすべきなんて見向きもしてなかった
宿題が出てもそれを終わらせたらひたすら遊んでいた
もしかしたら遊んだ後に「宿題あったわ」とテキトーにすませて遊ぶことを優先させていたかもしれない
だが、高校の後半と大学生以降の生活はどうだろう
大学受験に向けて一秒でも多く勉強すべき、将来に向けて資格を取るべき、大学生の時にしかできないことをすべき
いつの間にかすべきだらけの生活になっているではないか
それは希望なんてあったもんじゃないのも当然だ
現代に抑うつな人が多いのもそれがきっかけで自殺してしまう人が多いのもこの「すべき」、「かくあるべき」が原因の一つなのではとすら思える
もちろん「かくあるべき」が完全になくなってしまうと社会の統制が取れなくなってしまう恐れがあるのだろうが
だが、現在抱えているほどのかくあるべきは不要だと思われる
自分を含め社会全体のすべきは減らせるのだろうか