好きでやってる?癖でやってる?
自分の人生というか人生に対する態度というものが他人(特に親)の機嫌を取り親がこういう人間であって欲しいと願われるものになっているように感じる
親から気に入られようとする生存戦略は人が幼く親からの養育や保護が欠かせない時には自然と用いられる戦略でその時には有効だったのだろう
(優れた親は子を保護しながらも子にかくあるべきをほとんど押し付けないのかもしれないが)
だが、今となっては必ずしも必要なものではない
頭ではわかっている
親からの養育が必要不可欠ではないことを
しかし、長くそんな態度で生きてきたからか無意識にそういう態度を用いてしまう
だから、変化するのであれば面倒でも苦痛でも意識して時間を過ごす必要がある
子供のころ好きだったものがそんなに好きでもなくなることは自然なことだろう
逆に子供のころ好きではなかったことに興味を持ち始めたりすることもあるだろう
そんな時に子供のころから親しみがあることだから、と行動パターンが同じでは心の底から好きなものでなければ退屈になってしまうのも当然のことだろう
私はビデオゲームが好き、動画サイトでゲーム映像やアニメーションを見るのが好き
だったのかもしれない
動画サイトは中学生半ばくらいから、ビデオゲームにいたっては小学生の半ばくらいからの付き合いだ
こんなに長い付き合いをしてる対象は他にない
だが、今アニメーションを見たいという情熱は当時に比べればだいぶ冷めているしビデオゲームは休日全てを費やすこともあったが今では頑張らないとゲーム機の電源を入れることすらできない
客観的に見れば約10年飽きずに?続けられたというのは一つの才能だったのだろう
(才能というのは苦労せずにできること、という意味合いで使っている、ゲームの能力はジャンルによってちょっと上手いかもしれないレベルだ)
好きで続けているのならいいが特別やりたいことでもないのに今まで慣れ親しんでいるからやっているというのは不純とも言える
人間価値観というのは変化するものだ、変わらないところがあるとしても変わるところはあるものだ
私は空いた時間の過ごし方を変えてもいいのだ
というか変えようとしなければ変わらないだろう
意識して動くのは頭を使う(エネルギーを使う)から面倒くさいんだろうな
それでもやらなければエネルギーを持て余す退屈ない人生になるのだろう
さて、どんな風に時間を使おうか