ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

たった三文字の偉大な言葉

ポジティブさっていうのは現実を都合良く捉えるということに過ぎないという話

 

逆にネガティブさっていうのは現実を個人に都合の良くないように捉えられるということ

 

それぞれ優劣があるものではなく両方必要なものである

 

 

っていうのを今日考え事をしている中で思った

 

昨日私が待ち望んでいるヘッドホン(ソニーのWH-1000XM3というもの)についての情報が公式から公開された

 

発売予定日も公開された

とても待ち遠しくて午前中はずっと10月6日のことを待ち望みながら上機嫌に過ごすことができた

 

この「将来に何か待ち遠しいものがある」というのは人間に希望を与えてくれるように思えたのだ

 

幼い頃はウルトラマンでもセーラームーンでもこれになりたいというような夢を抱いていたかもしれない

 

それがケーキ屋さん、プロ野球選手のように現実的になれるものを夢だと言い張るように変わっていったかもしれない

 

それでも子供のころには言わされないで言う夢という名のいつかなりたい未来に対する希望があったに違いない

 

当時の私にはネガティブなんていうものはほぼほぼなかった

未来にこうなりたいという理想を抱いていて頑張ればいつかなれると思えていたから

 

ところが思春期ほどになると夢は夢、見るだけのものになってしまうのだ

 

私も例に漏れず未来に対する希望を打ち砕かれていった

部活動でもダメ、学業でも限界を感じていくにつれて希望が失せていった

 

それでは生きたいという思いは薄れていってしまう

今が満足ならいいのだが、今が満たされていないかつ未来も真っ暗では人生に嫌気を感じるだろう

 

だから希望というのは生きるのに欠かせないものなのだ

 

特に絶望を感じている人には必須だ

 

希望を持っていると今がダメでもいつかいいことが待っていると思える

今が辛くてもいつか乗り越えられると思える

 

 

とこんなことを書いていて現実の不都合から目を反らすための現実逃避に過ぎないなんていう風に感じられてきてしまった

 

それでも現実が辛くてしかたない人には良い薬になるのだとも思えた

 

未来が明るく見えれば未来からの明るい光が今という時間軸にまで届いて私たちを照らしてくれる

 

希望というのは世間的に輝かしいこと、大事である必要ではないのだろう

 

私のように発売が待ち遠しいモノを待つのでもいい

身に付けたいスキルがいつか身に付くと信じるのでもいい

金曜日の仕事終わりの一杯のビールを楽しみにするのでもいい

 

ただ本人が心から楽しめるものでなくてはならない

 

そういう個人的で自分勝手な希望がネガティブ族には必要なのだ

 

 

 

ああ10月6日が楽しみだ