積み○○は罪?
あなたには買ったまま触れずにいるものはあるだろうか?
例えば本、ゲームソフト、録画した映像作品などが考えられる
それらは積み本、積みゲーなどと呼ばれよく「消化しなくちゃ」という言葉と共に使われる
ちなみに私にはある
VRAV作品だ
セールがあるとリストを見て気になるものがあったらとりあえずダウンロードする
ところがダウンロードしたはいいものの結局見ていないものがたくさんある
今日図書館にて棚にまっすぐ収まらなくて本の上に横倒しされている文字通りの積み本を見た
今日はFANZAの半額セール第三弾が始まる日である
そしてそれらが結びついた時に「どうして積み○○は良くないと考えられるのだろう?」という疑問が思い浮かんだ
その理由として金の無駄遣いをしていると感じられるからだと私は考えた
確かにお金を使って消費しないコンテンツを貯めていくのは一見お金の無駄遣いに見えるだろう
しかし本当にそうなのだろうか?
コンテンツは一度消費したらそれっきりで二度と触れなくなる
気に入ったものは二度三度と触れることになるだろうがそんな素敵なコンテンツに毎回巡り合うとは限らない
紹介文や評判から感じた期待以下なものならガッカリしてしまうだろう
そして消化しなければ「きっとこれは素晴らしいものに違いない」と思い続けることができる
そんなものが積まれていれば何か辛いこと、やりたくないけどやらなければならないことに対面したときに「素晴らしいものが待ち構えてるから頑張ろう、乗り越えてやろう」と原動力にすることができる
だから積み○○は積まれていてもプラスに働かせることができるのだ
そもそも積み○○の消化は義務ではない
コンテンツの提供者はお金を受け取って利益を得ているからどちらかと言えばその時点でプラスになっている
しかしどんどん素敵なものを積み続けることは良いことだ、と結論づけるのは如何なものかとも思う
コンテンツの提供者が金銭的に得をしていても消費者には損であることに変わりはない
そして「積み○○は悪いことはなく良いこともある、ただ積みながらも消化することは欠かせない」というどっちつかずな結論しか出すことができなかった
長めに書いた割には面白くないオチになってしまったが読者の方に少しでもプラスを感じ取る助けになれたのなら幸いである