ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

ココロ…晴れ 心理学で学んだことが活きる時

昨日に引き続き今日の朝から午後一番にかけて気分が落ち込んでいた

 

感情の抑圧がいつも以上で、職場に着いてすぐ昨日の業務で失敗していたことについての言及が追い打ちをかけて気分はどん底に落ちた

 

午前中に頼まれた業務が人ではなくモノに向き合ってできるものであったのは今思えば幸運だった

午後の最初の業務はカウンターで利用者の対応をすることもあったがそこまで多くの人の対応をしたわけではなかったしパソコンを使って今の自分の悩みについて考えるための情報を集めることができた

 

その時は酷く気が滅入っていてひたすら仕事辞めたい、そもそも働きたくない、誰とも関わりたくないということだけが頭を駆け巡っていた

 

その時集めた中で今頭に残っている解は

・そもそも人生は苦痛になる要素がたくさんある

・八方美人を止めて自分勝手になっちゃえ

・全ての人から好かれることはできない(嫌われることは避けられない)

・悩み苦しみは取り除こうとせずそのままにしておけ(森田療法の考え)

 

このようなあれこれの考え方に触れることで心が救われた

 

そして絶望的な思いこみをしていた時では考えることができなかったことを考えられるようになった

「普段はもっと自然に付き合えてる職場の人たちにここまで機械的な振る舞いをしている理由はなんだろう」

 

そんなことを考えていたら

 

「先週の業務は自分より高齢の主婦たちが勢ぞろいでやっていてそこで盛り上がる話題に全然共感できず疎外感を感じていたことを引きずっているのではないだろうか」

 

という結論に至った

 

そして疎外感というキーワードから最近参加したビデオゲームでのサークルで馴染めていないことも関係していそうだと考えた

 

身近な複数の集団でそれぞれ孤独感を感じている現状なら妙によそよそしくなってしまうのも無理はなかったなと思えた

 

そして、今までさんざん私を救ってきた10個の認知の歪みという理論が思い浮かんだ

たった二つの集団だとしてもその両方で友好的な関係が築けていないと感じられて「私は全ての人とうまくやっていくことができない」と過度な一般化をしてしまったのだなと納得した

 

 

「仕事を失敗したから私は無能だ」→レッテル貼り

「失敗をしたから𠮟責され酷い扱いを受けるに違いない」→先読みの誤り、拡大解釈

「私に長所なんてない」→心のフィルター、過小評価

「仕事を辞めたいけど今の仕事を辞めたら再就職できなくて野垂れ死ぬしかない」→全か無か思考

「他の人が楽しそうに会話している中自分は楽しく会話できていない きっと嫌わているに違いない」→心の読みすぎ、感情的決めつけ

 

 

一連の負の思考がまるでこの理論を紹介するときに例示されるもののようで「これは面白い記事が書ける」とまで思える余裕が生まれてきた

 

夕方には同僚(同じ職場で働いている人の意)と談笑できるほどに回復した

 

禍福は糾える縄の如し、は私の好きな言葉なのだがまさにその通りでふさぎ込んだ気持ちもいつかは晴れやかになるのだなと再確認する一日だった