本音を言えることがもたらすもの
今日は朝にスタディサプリイングリッシュのレッスンを一つやった
そのレッスンは最初に2、3人のキャラクターの一分くらいの会話(英語)を聞き、その内容に関するクイズをして会話の内容のディクテーションをして、最後にはキャラクターになりきってマイクに向かって会話の発音をするというものだ(伝わってる気がしない説明…)
まぁスタディサプリイングリッシュがどんなものかは重要なことではない
気になった方は自身で調べてみて欲しい
そのレッスンの会話の中で多分アメリカ人と日本人とがやりとりをするのだ
やりとりの内容が日本人の会話表現の特徴というものであった
日本人は自分の思いを間接的に伝える、いわゆる建前と本音を無意識に使い分けているということを日本人のキャラクターが言ったのに対して、アメリカ人のキャラクターが「それって自分の思いに嘘をついてるんじゃないか?」、「建前と本音って大きな隔たりがあるんだろ? それって困惑するな」、と言ったのだ
私はこれを聞いてそれはその通りだなと思った
私は
…ここまでの文章を午前中に書いていた
そして正午から小中学からなんだかんだ交流が続いている友人と数年ぶりに会った
ここ最近個人的な交流がほとんどないこととと寂しさを感じていてふと親しいやりとりを求めて一緒にお話をしないかと誘っていたのだ
同じ地元の友人だから近場に集まろうということになっていたのだが彼は車の運転に慣れているので目的地まで一緒に乗せてもらった
我が家に彼の車が来てぎこちない挨拶をして目的地へ向かった
彼の車の運転は通勤に車を使っているのもあってとても安心感があった
ウォークマンで音楽をかけていたのだが知らない曲、知っている曲と色々だった
久しぶりの交流だったが何年もまともに交流していないこともあって話題はたくさんあった
気になることをたくさん訊いて思ったことをたくさん語った
割とこの時点で満足感があった
目的地といっても私が彼と会いたかった理由はただ個人的な話をしたかっただけだから車内でのやり取りの時点で目的は達成はされていたのだ
まあそうは言っても場所が変われば話題も変わり車内ではできなかった話もすることができた
昔はよく行っていた街だったのでその街の変化についてあれこれ語ったりそれぞれの環境の変化についても語ったりした
ファミレスでご飯を食べながらお話をして、客が少なめのカフェでお話をした
話題は主に仕事と人間関係についてだったと思う
それぞれ休みはどんなことをしているのか、職場のこんなところが嫌だ、恋人はいるのか、どんなことに悩んでるか
そんなことを語った覚えがある
餓鬼のころ一緒にいたから彼の性質はなんとなく知っているつもりであったが色々変わってるんだなぁという当然といえば当然のことを感じた
同様にこういうところはあんまり変わってないかななんて思うこともあって親しみを感じた
今日の彼との交流ではここ最近の人とのやり取りの中で最も素の自分でいられたように感じた
表面的には色々と違うであろう人だが根本に似ているところがありそうだからか私は語ることに自然な共感をしてもらえたような気がしてついついたくさん自分語りをしてしまった
自分の思いをほぼそのまま口に出せるというのはとても気持ちがいいらしい
自分の話を聞いてもらう快感は性交のそれを超えるなんて話すら聞いたことがある
私は今日の彼とのやり取りの中でしたことがない性交以上の快感を得ていたのかもしれない
なぜ午前中に書いていた記事を残してそのままつなげたのかというと、その時の話題になっていた本音と建前の話につながりそうだと思ったからだ
仕事場でも個人的な交流の場でも建前を使うことはあるだろう
午前中の文章は日本という国で?、もっと本音で語り合えるようになっていって欲しいという話をしたかったんだと思われるが、その思いはまさに日中に味わったばかりの蜜の味によってただの思いから実感へと変わったのだ
正直会うまでは誘った身ながら話を決めてわざわざ出かけるなんて面倒くさいと思うこともあったが最終的には別れを悲しむくらいの充実感を感じたし、稼ぎの少ない身としてはちょっとした出費ですらしたくないと思っていた人間が進んで車の駐車代を出そうという気になる体験になったのだ
(送迎してもらってるんだから駐車代払うのは当たり前だしガソリン代も出せよなどの批判は勘弁願いたい…)
もちろん基本的に人間関係というのは面倒くさいという価値観は覆らない
でもその面倒くささというのも建前と本音の使い分けというところからくるものなのではないか と記事を書いている内に思った
もちろん、例えば怒りを感じた時にそのまま怒りを相手にぶつけろなんてことは推奨したくない
表現の仕方は気に掛けるべきだろう
それでも私はあなたのこういうところに怒りを感じていますと言えるだけでも気分は違うだろう
本音を言うことで思いの違いが明らかになりその場の小さな衝突は増えるかもしれない
だが、小さな不満を積み重ねた結果大きな不満になって一大事になるよりは小さな段階で話し合いができた方が良いのではないだろうか
本音と建前の使い分けという上級テクニックができなくても生きていける不満の溜まりにくい世の中になることを願ってこの記事の執筆を終える