美人もステーキも3日で一度は飽きる
生きる上で気にするといいかもしれない指標を一つ思いついた
それは「刺激の量」である
大きな音が鳴っているのは刺激が多く、静かな環境は刺激が少ない
電子機器のピカピカを覗くのは刺激が多く、自然を眺めているのは刺激が少ない
連続して同じことをする(食べ物、行動、関わる人)をするのは刺激が少ない
やったことがないことに挑戦したり行ったことがない場所に行ったり初めて会う人との関わりは刺激が多い
電子機器を交えた遠隔での会話は刺激が少なく実際に相手と相対しての会話は刺激が多い
といった具合だろうか
勝手を知っていてエネルギーを使わなくても対処できることは低刺激で、よくわからずエネルギーを多く使わないと対処できないことが高刺激だと言える
内向性が強い人はこれらの刺激を多く求めない
でも求めることもある
なぜなら同じ刺激を受け続けているとその刺激量は減少していくからだ
人との交流を避けがちな人も長い間一人でいれば人恋しくなるだろう
ステーキが好物な人だって毎日食べれば飽きてしばらく食べたくなくなるだろう
逆に自分が快適だと思う刺激量より多いことが続けば嫌になって少しでも減らそうとするに違いない
疲労していたり体調が優れなかったりすれば体に優しいものを食べて何もせず安静とするのが基本だ
つまり連続する日常の中で自分を取り巻く刺激はその都度適量で適切なものであるのが望ましいのだ
例えば仕事後のビールが旨いと言われるのは悔しいかな仕事のおかげだと言える
それは労働で高まった緊張をアルコールが弛緩してくれるという刺激量の変化、流れ、調節が生み出すものである
きっと現在の外出自粛傾向が生み出すストレスはこれらの刺激に偏りがあり、かつ刺激量が不足していると感じるため生じるのであろう
もし今の生活に退屈や不満を感じているのであればこの「刺激の量」という観点で振り返ってみるのはどうだろうか
自分は刺激を多く求める人なのか、あまり求めない人なのか
今の生活は刺激が多いのか少ないのか
そして今、自分が刺激を増やしたいのか減らしたいのか
絵を描くのが好きとか料理を作るのが嫌いとか対象の好き嫌いや得手不得手だけでなく活動の刺激の多い少ないでやることやらないことを考えると新たなアイディアが生まれるかもしれない