楽しもうぜ
私はもっと好き、楽しい、面白いを求めてもいいのかもしれない
たとえそれが危険なことのように思えても
私は金曜日に公用車を動かしてた時車庫的なところに軽く車をぶつけた
その時なんと私はそれを面白がり笑顔がこぼれた
してはいけないという禁忌を犯す背徳感とでもいうのだろうか
理科の実験を教科書に従わないで好奇心に任せて行うような感覚だろうか
とにかく面白かったのだ
今日は人生の方針ということについて少し考えていた
大きな不満がないのに満たされないのは自分が特別欲していないものを欲しいもののように求めようとしているのが良くないのかなと思ったからだ
そして安直に「人生 方針」と検索エンジンにキーワードをぶちこむ
https://ameblo.jp/hunnwari-suisaiga/entry-12050889862.html
一発目にこんな記事が出てきた
https://ameblo.jp/hunnwari-suisaiga/entry-11900242729.html
そしてリンクにこんな記事があった
この手の記事は何度も読んできたから結論自体は特別なものではなかったけど相談者のえりなさんの言うことが非常に共感できるものだったのだ
それは「歌ってるときは楽しいけど終わると一日を無駄にしてしまった」感覚
他人事とは思えなかった
この記事では「役に立たないことをするのが怖い」のではないかという分析がされているが、自分の場合はどうだろうと考えたところ「危険を匂わせることをするのが怖い」のではないかと考えた
それはいくつか考えられる
・自動車の運転(事故を起こす危険性を秘めている)
・人の意見に反対したり本音を語ること(波風を立てる可能性を秘めている)
考えるのが面倒になってしまった
この記事を読んで中学生のころは人との交流を積極的にしていたり冗談を言ったりしてコミュニケーションを楽しんでいたのを思い出した
だが、冗談が時に人を傷つけることもあることを実感し、嫌われたくないからと抑圧してしまったのではないかと思ったのだ
別に冗談を言うことだけが会話の面白さではないと思うが、嫌われたくない一心(危険の回避)で言いたいこと(楽しみたい気持ち、したいこと)を抑圧してしまうのは考え物ではないのかと思った
私は他者との交流(特に異性との交流時のドキドキ)を楽しみたい
私は時におふざけを楽しみたい
私は時にのんびりぼーっとする休息を楽しみたい
私は時にかくあるべきを無視して冒険をしたい
こんなことが(楽しむこと)が人生の方針であってもいいじゃない