マジメ系なあれについての考案
「真面目な人」と言われる人は「主体的ではないけど他者の期待に応えようとする(応えないといけないと思っている)人」のことではないかと考えた
「お前たくさん勉強して真面目だなぁ」と言われた秀才が「好きでやってるだけだよ」と返答するというような事例を実際にでも仮想の話でも聞いたことがあるだろうか
この秀才は自分を真面目だとは思っていない
勉強を一般的な人が好きでやっているビデオゲームやスマホでの娯楽などをしているのと同じようなものだと思ってやっているだけなのだろう
彼は受験生なら素晴らしい成果を挙げそうだし成果が出なくてもあまり悔いを感じず次のステップへ進めるのだろう
しかし同じような事例でも親に褒められたいから、教師から叱られたくないからという理由で勉強しているのであれば話が違う
そんな人は自他ともに認める真面目な人なのだろうけど最初に挙げた秀才のようにはなれない
きっと遠くない内に躓いて生き辛さや挫折感を感じることになる
これが所謂マジメ系クズと呼ばれる人の正体なのではないかと考えた
このマジメ系クズのことを考えていた時他ならない自分のことが思い浮かんだ
小中学生の時は親の、高校の時は担任と部活顧問の先生の、大学の時はサークルの人たちや研究室の教授の、働き始めてからは上司の期待に応えようとしてきた(いる)
そこに主体性はない
嫌われるという罰が怖くて仕方なくやっているだけだ
学生時代に不真面目だと言われたり思われたりしている人の方が伸び伸びと生きているように見えることがある
これは最初の例の秀才のごとく好きが行動原理の多くを占めていて嫌々感少なく行動しているからなのだと思われる
たとえそれが道理から外れるような行動だったとしてもそこから自分らしさや次の成功への気づきを見出すのだろう
それに対して学生時代真面目だと言われていた(私の)ような人は学生時代くらいの閉ざされた空間では良い立場でいられても職業選択や私的な時間、総合的な生き方を考える時のような開かれた空間時間になると一気に立場がなくなる
それも当然で自分を無視して他者の言いなりになっていては自分など育つはずがなく自分で決められる、決めるべき事を選ぶ基準がなくて混乱することになる
たとえ問題なく過ごすことができてもいづれ抑圧された自分が「早く解放してくれ」と暴れだすか「このままでは無理だ」と強烈なブレーキをかけるかをするだろう
マジメ系クズは自分が正しい、良いと思ったことで一見道理から外れているように思えるようなことを積極的にするべきなのかもしれない
非合理な遊びをすること、人から嫌われるようなこと、迷惑をかけるようなこと
それを目的にするのは良くないと思うがやりたいことがそんなことならやっちゃってもいいのではないだろうか
マジメ系クズにはそれらのことが殺人や強姦のごとき禁忌のように思えるかもしれないがそれはただの思い込みなだけかもしれない
やりたいことをやって迷惑をかけたと感じた時は素直に謝れると思う
嫌われたときは長続きしない関係が早々と断たれるだけのことなんだと思う
マジメ系クズはやりすぎなくらい好き勝手に生きなければならない