ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

コロッケ☆

私は今怒りを感じている

 

 

 

夕食がコロッケなのにソースをほぼほぼ切らしているということに

 

 

 

そもそも怒りなのか落胆なのか悲しみなのかはたまたそれら全てが混ざっているのかはわからないが決してハッピー!ではない

 

さらに言えばソースがないことに不満を感じたのか今日という休日がそこまで満足な過ごし方ができなかったからたまたま怒りをぶつけられる対象を見つけて思い出したかのように不満を表出させているだけなのかもしれない

 

 

 

ただ、今回の夕食のコロッケはただの一度の食事に終わることではないのだ

 

というのも以前母に「何か食べたいものある?」と聞かれた時に「コロッケがいい」と言った時に「近いうちにね」と言われて迎えた夕食のコロッケなのである

 

だから私は今日食べるコロッケというものに多かれ少なかれ特別なものを期待していたのだ

 

別に普段よりも美味しいコロッケである必要はない

今日の夕食のタイミングに予定通りに想像しているコロッケが食べられれば良かったのだ

 

そしていざ迎えたそのコロッケがソース不足で残量を気にしながらちょびちょびソースをつけながら食べることを強いられることになってしまったのだ

とても残念だった

 

私は未来に起こる出来事に「期待をする」ということを好まない

なぜなら期待の大半には裏切られるから

 

未来は良くも悪くも想像通りにならない

こうなって欲しくないという想像も外れることがあるがこうなって欲しいにも幾度となく裏切られてきた

 

未来はこうなって欲しいと願ったことがその通りになれば問題はないが、ならなかった場合、元々未来は不確定なものであるという当然のことが頭から抜け落ちて不満を抱くことになる

しかも、期待通りになってもそうなって当然だと思っていることだからあまりありがたみなんて感じられないのだ

 

こんな何事かに「期待をする」ということはなんと愚かなことであろう

 

期待は今を生きていない人間がすることだ

 

もちろん未来が良いものになって欲しいと願うのは自然なことだ

未来を良いものにするために今の行動を考えることも良いだろう

 

でも、未来に期待をしながら生きるということは報われなさを生み出す可能性を秘めていることを忘れてはならない

 

 

 

この文章を読んでごもっともな非難やくだらねぇの言葉をかけられるかもしれないが「その不満はわからんでもない」が来てくれることを期待して執筆を終える