やる気の出方のタイプ考察?
もし、能力を高めるなら得意なことをより得意にすることと、苦手なことを良いものにすることのどちらにやる気を感じられるだろうか?
そんなことを考えていたところ、私の場合は苦手の克服の方がやる気が出るように感じる
そう思わせる出来事として最近練習している自動車の運転が挙げられる
私は運転免許証を持っているだけど所謂ペーパードライバーでしかなかった
しかし、仕事の中で運転ができるようになることを強いられてしまった
最初はなんで毎年多くの事故を起こしている自動車を動かさなくてはいけないんだととても嫌な気分だった
だが、公共の交通手段に乏しい田舎に住んでいるので自動車の運転ができることは生活の選択肢を広げてくれるのかもしれない、じいさんばあさんですらできていることなのだから特別な技能が要るものではないのだろう、できないことだから怖くてしかたない、徐々に慣れていこうと思い練習を始めていった
最初の数回は家に帰って来られる度に安堵していたが、最近は運転に楽しみを感じるようになっている
伝えたいことから脱線してしまったが、自動車の運転は今までできなかったことができるようになるという0が1になるような感覚が良いのだ
仮に得意なことをより得意なことにしたとしても極めようとすればいくらでも上の存在がいるし良くも悪くもいくらでも極めようとすることができてしまうのだ
…何を言いたいのかよくわかんなくなってしまったが、何にもやる気がしないって時には自分の苦手と得意、どっちの良くするのが自分に合っているかという視点で考えてみるのもいいのではないかということだ
余談
私は目標を立ててそれを達成しようとするということにあまりやる気を感じない
その理由は目標を立ててそれに向けて行動をしようとすると目標を達成できて初めて意味があり、達成できなければそれまでの取り組みは無駄になってしまうように感じるからだ
だから、最近は目標を立てるというよりもその日その日でやることできることを意識してやるだけにとどめてきた
しかし、私は目標を立てて人生の方向性を決めるということは複雑に見える人生をシンプルにしてやることやらないことを決めやすくなる良さがあるのではないかとも思うようになっていった
そして、そんなことを頭の片隅に置いていたところ「目標を設けることでいくらでも頑張れてしまうものにピリオドを打つことができる」というひらめきが浮かんだのだ
これはかつてやっていた期間限定のアルバイトをやっていた時の経験からひらめいたことで、アルバイトの後半の期間にやる気がなくなっていたときに「後何日やれば終わる…!」と自分を奮い立たせていたことがあったのだ
記事の本編でいくらでも極められることは良いことでもあり悪いことでもあると書いたが、いつまでもやらなければならないと感じるようなことでも、このいつか終わると思えれば今苦しいこと、やる気が起きないこともやろうと思えるのだろう
そして目標を立てるのであれば、この物事に対して自分はこれくらいできるようになれば満足だと思える程度の目標を立てることとこれくらいまでは頑張ってみようという期間を決めることが大切なのだろう
他の人から自分が極めたい以上のところまでの上達を目標を要求されると面倒になるから自分が達成感を感じられそうなレベルの目標にすることで、目標達成の時に気持ちよく頑張りをやめることができるのである
(自分で無理のない)頑張る期間を決めることでとりあえず決めた期間だけは取り組んでみようと途中で嫌になって止めたくなることを続けやすくなるのだろう
こうでもしないとやる気がでないことなんてやらないに越したことはないんだろうけどね
生きるって面倒くさいなぁ