知らないものは見えない、見えないものは知れない
今回は「日頃触れたり関わったりする身近なことの影響」ということについて考えてみる
これは今日考えてたことではないんだけれど、「人を好きになる、好きだと思われる秘訣ってなんだろう?」ってことを考えていた
やっぱり容姿の良し悪し? 性格の相性? 経済力や社会に与える影響力の大きさ?
と時に悲しみを感じながら思考していた
そして、最終的にたどり着いた(自分を納得させた)結論が
「日頃たくさん顔を見る人のことを好きになるんじゃないか?」
であった
(こういうことにしておけば自分の容姿の良し悪しや経済力の低さが秘訣でないと悲しくならないで済むっていうのもあるんだけど)
これはただ私が主観的にそう感じたというのもあるが、有名だと思われる「単純接触効果」(ザイアンスの法則)としても提唱されていることでもあるので的はずれな結論ではないと思われる
(先に知識として単純接触効果は知っていたのだけれど、今回はそれを実感したという意味合いだ、私個人で発見できる法則ではない)
ではどうして顔を合わせることが好き好かれの秘訣だと感じたのかというと、約4ヶ月同じ職場で同じメンバーの人たちと仕事をしてきて最初嫌いだと思っていた人にもそんなに嫌悪感を感じなくなってきているからだ
自分と真反対で相性悪いなという人でも逆に私の短所を補ってくれるありがたい存在だと思えるようになっている
これは職場以外の場でも感じていることである
例えばTwitterのタイムライン
恐らく何億というユーザが利用していてそれぞれ好き勝手に物を語っている
たまにフォローしている人のツイート、いいねやリツイートをされて私のタイムラインに表示されるツイートの中で「それは違うんじゃないか、これはあんまり好きじゃないな」
と感じるものがある
それらのツイートを全く関係ないところでパッと見かけたら「この人好きじゃないな」って思って距離を取る人リストの中に無意識に振り分けるかもしれない
けれども、私がフォローするのは有益な情報をもたらしてくれるアカウントと人間が個人的なことを語る人間らしいアカウントのみだ
そして、その人たちのツイートを日常的に見かける(接触の機会が多い)からか余程見てられないってほどのツイートをされなければリムーブ、ブロックをしようとは思わない
この法則は人間の好き嫌いの話だけでなく、個人的な趣味嗜好にも当てはまると思っている
私は子どものころからビデオゲーム、パソコンを含めた電子機器に馴染みがある
今でも活用しているしそれらで遊ぶことは楽しい、好きだと思っている
動画サイトもビデオゲームも飽きたと思うこともありながら結局はそれらに時間を費やすことが多い
これは自分のセルフイメージとして自分は昔からの馴染み深いゲームやパソコン遊びを好きな人間だ、というアイデンティティのようなものを持ちそれを無意識的に求めるようになっていて、それらが身近にあることでその好き度合いを高める(維持される)効果を発揮しているのではないかと考えている
つまり、きょうだいや親など身近な人が楽器演奏の趣味を持つ人なら当人も楽器の趣味を獲得しやすいみたいな話だ
住居を共にしてる間柄だとその楽器を日常的に見たり触ったり演奏してる姿を見たりするのでより興味関心を得やすくなると思われる
人間の想像力が働くのは自分が見聞きしたものだけらしい
だからなにかしらの形で見聞きできないものは好きにも嫌いにもなれないというのは自然なことだ
最初の結論の話に戻そう
我々は見聞き触れるものの中から好きなもの、嫌いなものを生み出す
知らないことは好きにも嫌いにもなれない
そして身近な物事は自然と知覚されやすくなり好き嫌いの判断材料にされやすくなる
どのようなフィルタでそれらが好きに分類されるのか、嫌いに分類されるのかは謎な部分もある
だが、存在を認識しなければ好きにも嫌いにもなれない
新たな趣味を見つけたければ未知の物事の存在を知って、馴染みがなくても体験する必要がある
日頃触れるものを変えることで趣味、もしかしたら自分自身の性格すら移り変わっていくかもしれない
好きな人から好かれたければ当たり障りがなく意識に残りにくい「ただの良い人」になることを避けて何かしらの個性(特徴)のある何者かと認識される必要があるのかもしれない
...最初とは違う結論になっちゃったけれど考えたことを文字に起こしてまとめることが大切ってことで