ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

言うは易く行うは難し やらねば…

私は回避性人格障害を抱えていると推測している

 

回避性人格障害であるかのチェックとして

 

1)批判、非難、または拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける
(2)好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたがらない
(3)恥をかかされる、または嘲笑されることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す
(4)社会的な状況では、批判される、または拒絶されることに心がとらわれている
(5)不全感のために、新しい対人関係状況で抑制が起こる
(6)自分は社会的に不適切である、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている
(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的な危険をおかすこと、または何か新しい活動にとりかかることに、異常なほど引っ込み思案である

回避性パーソナリティ障害とは?「傷つかないよう避けてしまう」症状や治療法、克服するための方法を解説【LITALICO発達ナビ】より引用

 

という点が考慮されるらしい

 

今までも症状を見て「自分これだわ」って思うことはあったが、今日見て改めてそうだわと思った

 

 

 

そもそもなぜこんなことを見るに至ったかというと、今日の仕事中、特に電話対応の時に周りの人間の目が気になってしまって強い窮屈感を感じたからである

 

おかしなことを言っていないか、ちゃんと相手の要件を聞けるか、と電話に出る度に感じた

 

しかも、今日はいつも以上に電話をかけなければいけない事態になってしまい、やっている間は心底辛かった

 

相手の名前を聞き間違えてしまいいつもの意地悪なおばさまに馬鹿にされたようなことを言われたが「自分は精一杯なんだ」と心の中で自己擁護して、終わった後は自分に「よくやった!お疲れ様!」と強いねぎらいの言葉をかけた

 

そんなこんなで仕事を終えて、疲れた、職場変えたい、完璧主義?、馬鹿にされたくない、人目を気にしたくない、なんでこんなに人目を気にするんだ?、自分が傷つきたくないから?

みたいな流れで考え事をしている中でこの回避性人格障害というキーワードに辿り着いたのだ

 

 最初は自分の完璧主義な性質からくる悩み苦しみかな?という切り口で情報を集めていた(ということに書いているうちに思い出した)

 

なんだかんだ考えているうちにたどり着いた結論が

・やはり自分には完璧主義(人から見られる自分に完璧さを求める)と回避性人格障害な性質があるらしい

・挑戦や他人との親密さを回避したがるのは恐らく過去の傷つき経験からまた同じように傷つきたくないという思いが理由なのだろう

・他人を変えるのは難しいから自分(の物事の受け止め方)を変えるしかない

・苦労を避け続けてもどこかで避けられないところが出てくるから完全に苦労を避けることは諦めてどこかで立ち向かわないといけない

・傷ついてもいい、傷つかないようにするのではなく傷ついた時に自分をいたわることが大切

・避け癖を克服するという意思、克服したいという思い(主体性)をもってそれにふさわしい行動をしない限り多分そこから抜け出すことはできない

 

(そして「人を馬鹿にする人の方が馬鹿にされる人よりバカ」ということ)

 

散々言われていることなんだろうけど、主体性っていうのはとても大切なんだろう

夜と霧という本の中でアウシュビッツ収容所の中という絶望的な環境の中でも希望を持つ人が生き延び、その絶望に飲み込まれてしまった人は死んでしまったというような記述があった

 

これはもちろん根性論や過労の美徳を肯定するものではない

 

だけど、これはつまり過酷な環境の中でもその環境をどう捉えてどのような態度をとるかというところには自由があるということだ(これも夜と霧に書かれていた)

 

それはつまり自分の人生に対する意味付けに主体的に責任を持つことがどんな苦しみをも乗り越え生きる希望を生み出す秘策になるのではないだろうか

 

 

 

…どうまとめよう?

つまり私が過去に感銘を受けた認知療法もとい「いやな気分よ、さようなら」は素晴らしい著作だったってことだな!

だって心理学にはまったきっかけの本でもあるし今でもその考え方に影響が残ってるし

 

名著に出会えていたことに、乾杯。