同じ人間であっても
私の隣にいるのは本当に同じ人間なのか?
は言い過ぎにしてもそれくらい人はそれぞれ違う性質を持っていると感じる一日だった
以前私は図書館で働いていると言ったが、今日もいつも通りカウンターで利用者の本の貸借処理をしていた
そんな中、ある利用者がたくさんの本をかごに入れて持ってきたのだ
私は当然のようにかごから一冊ずつ本を取り出して処理をしていったのだが、その方の対応が終わった後、隣にいた別の職員から「スーパーじゃないからかごは利用者に片づけてもらうのが基本」と言われた
それに加えてそんな態度の利用者にムカつくというようなことを言っていた
私は過去にコンビニバイトをしていて、かごを自分で片づけるということが普通だと思っているからなのかはわからないが、かごを片づけさせられるだけでムカつくのか…?と思ってしまった
(もしかしたらそこではないところにムカついたのかもしれないが)
もう一つ自分と他の人は違うと感じられたのは私が脇にいるのに私の行動に対する間接的な嫌味を言い始める人がいるということだ
これは今に限った話ではないのだが、その人たちは私に対してだけでなく度々本人が近くにいるいない問わずしばしば他人の嫌味を言うのだ
確かにその人たちの業務を少し妨害してしまうようなことをしてしまったのかもしれないが、その場所を借りないとできないことだから仕方ないのだ*1
しかも、そこで作業していた時間は10分15分くらいで長い時間じゃないからそこまで大きな被害を受けてるわけじゃないのにそこまで大袈裟に被害者感出す必要があるだろうか?と感じた
その場所を使おうとした時に「ここ使ってもいいですか?」と聞いたのだが、もしその時どうしてもそこを使わなければいけないのであればそう言ってもらえれば後に回せる作業だったのに、その問いかけに何も答えず脇でコソコソ(になってないのだが)と嫌味を言い始めたのだ
私なら絶対やらないできないようなことを平然とする人がいる
絶景を見て強く感動するような人と特に何も感じないような人がいるように同じ出来事を見聞き体験してもそれをどう捉える(認知する)かは思っている以上に人によって違うのだろうなと感じた
人それぞれ違うからこそコミュニケーションをする必要があるのだが、人それぞれ違うからこそコミュニケーションが難しく面倒くさいというジレンマに人類は永遠に苦しめられるのであろうなと感じた
*1:(6月7日追記、確認したところ、その場所でなくてもできる作業だったらしい… でもそこでやる場合もあるし、やはり大げさな被害妄想な反応だっただろうという思いは覆らない)