ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

自己責任と他者責任の間

今日は今週の仕事始めの日

 

正直面倒くさいとは思っていたけど、あまり面倒くさい面倒くさいという言葉を脳内でつむがないようにした

 

というのもプラシーボ効果というか思いが現実化してしまいそうだと感じたから

面倒くさいと思っていると実際に感じている以上の面倒くささを感じてしまいそうだ

 

だから、面倒くさい以外のところに意識を向けた

 

そのおかげか、今日の仕事はそこまで億劫にならず終えることができた

 

職員の方に「そんなこともわかんないの?」みたいな暗なるメッセージを含めた顔をされた時、「そこまで軽蔑されるようなこと?」と思った

 

そんなときもその人を心の中で過剰に攻めたてることもできたし、なんで私だけこんな目に合うのだろう…と被害者意識を高めることもできたけど、そうしても自分の不愉快さは消えないと思いそこで踏みとどまった

 

これも自分が何を意識するか、起きた出来事をどうとらえるかという意識の話をするために挙げたエピソードだ

 

もちろん自分の意識を変えれば万事解決だとは思わない

 

毎日暴力を受けていても自分の認知の仕方を変えれば解決はさすがに環境を変えることを提案するだろう

毎日8時間+残業が当たり前で休みがほとんどない状況でも意識を変えれば耐えられる、なんてことを続けていたら身が持たないだろう(そんな環境に適応してしまう人もいるんだろうけど…)

 

それでも、自分の意識を変えるだけで実際に何を感じるのかが変わってしまうこともあるのだ

だから、なんでも社会が悪い、あいつが悪い、親が悪いと頭ごなしに否定しないことが大切なのだろうと思った

(色々考えてみてそれでも周りが悪いと感じられるのであれば環境や付き合う人を変えることが欠かせないだろう、「頭ごなしに」周りを否定しないことが重要)

 

つまりは、100%自己責任とも言わず100%他者の責任ともせず半分は自分、半分は他者の責任 くらいに考えられればいいのではないだろうか

 

綺麗に50対50でなくてもいい

状況に応じて70対30くらいになったり10対90くらいになることもあるだろう

でもそれでいいのではないだろうか

 

100%自分が悪いと思い込めば背負うものが大きくなりすぎるし、100%相手が悪いと思い込めば相手の振る舞いに自分(の感情)を振り回されることになるのだ

 

 

やっぱり自分にだけ態度が厳しいんだよなぁ…

最年少の男が尊敬される環境ってあるのかな…?

あって欲しいな…

 

 

追記

今日はもう一つ思ったことがあった

それは、完璧な人はいない(逆に全く駄目だという人もいない)ということだ

 

私にだけ否定的なものをぶつけてくる(と感じる)人であっても責任のあることをこなしていたり、以前の記事で陰口のようなことをよく言っている人であってもその仕事を何年もやっていて職場で重要なポジションにいたりする

 

その人たちの人間性をよくは思えないけれども、職務を果たすという面では立派だなとは思える

 

私だってきっと人間性を好かれてはいないだろうし職務を十分に果たしていないのかもしれない

それでも、仕事を始めたときより遥かに成長してると思うし、急にいなくなられたら不便くらいの存在にはなっているのだろう

(悲しいような気もするけど、重要じゃない方が退きやすいからちょうどいいのだ)

 

手を抜けるって素晴らしい