動物嫌いと愛する能力の関連について考える
私は動物が嫌いだ
あの何を考えてるんだかわからない不規則な行動(特に噛む吠える舐めるなどの心身にダメージを受けるもの)となんとなく汚らわしいという印象がダメなのだ
なぜこんなことを話題にしたのかというと、動物が好きな人は子供も好きである可能性が高いのではないかと考えたからだ
私は(見返りを求めず)人を愛するということを一つの目標としている
だが正直なところ見返りが期待できそうな人しか愛しようと思えない
子を愛するとはまさにその見返りを求めない愛を与えられる者にしかできないことである
そしてそれができない者は子を設け育てることをしてはいけないとすら思っている
私は人を愛することができることは真に幸福に生きるためには欠かせない技術なのではないかと思っている
厳密に言えば本で見かけたそういう記述に真実が含まれているのではないかと思わされている
だから人の失敗に寛容であろうとしているし自分の至らない点を認めようと心掛けている
有能だから愛する、優れているから愛するのではなく無能でも愛する、劣っていても愛しようとすることができなければ真に愛することはできないと思うからだ
子供とは基本的に何もできない無能な存在だ
養育者がいないと生きることができない
何を考えているかわからないし好き勝手に非合理な行動をする
そんな子供という存在と動物とが似たようなものに思えたのだ
私は母親に抱かれていて世話されている姿を見ている分には子供が好きだ
赤ん坊の姿は可愛いと思うし泣くのも元気があっていいなと思う余裕はある
だが、子供の面倒をみてくれと頼まれ一対一で向き合うことになったらきっと嫌になる
何をすればいいのかわからないし何をしでかすかわからない
同様の理由でペットを飼いたいと思わないし飼いたくない
金はかかるし何をしでかすかわからない
糞尿の処理なんてもってのほかだ
こんな私に子を設け育てる資格はない
(相手もいないし)
私は自分の面倒を見るだけで精一杯の5歳児なのだ
世の中には動物を愛し飼っている人がいる
自分よりペットに愛情を注いでいるとすら思える人もいるし死別を嘆き悲しむという話も聞く
私には全てにおいて共感できない
今回の考え事でそういう人は何者かを無条件に愛する才、能力があるのではないかと思えたのだ
これは子育てだけでなく老人の介護や健常者ではない人(語彙の乏しさを許してもらいたい)の面倒をみることとも関係があると思われる
とここまで書いてきたがオチはない
ただの脳内垂れ流しだ
自分が愛情に欠けることを否定するものではないしじゃあペットを飼えばいいという安直な結論を出したいわけでもない
でも文字に書き起こしたことで何かが見えてきた気がする
今後の思考のテーマになりそうだ