ちびしろさんぽ

脳内を ちょっといじって 垂れ流し

承認欲求を活かして自分を生かせ

人間はなぜ孤独を嫌うのか

 

その理由は人間は無意識に孤独と死とを連想してしまうからではないかと考えている

 

…意味がわからないと戻らないでとりあえず説明を聞いて欲しい

 

 

「人間は一人では生きられない」というような言葉を聞いたことがあるだろうか

私ははじめて聞いたときは飯が食えれば生きられるからそんなことないわと思っていた

 

だが、今はこの言葉はあながち間違っていないのではないかと思っている

 

確かに食べるもの(もっと言えば体に栄養を送れれば多分)生きていけるのだろう

しかし、ここで考えたいのはその食べるものはどうやって作られどうやって得ているかということだ

 

現代社会で山籠もりなどせず生きていれば多くの人はお金を誰かに渡してそれと引き換えに食べるものを得ているだろう

 

仮に自分で作るにしても食事を作るための種を購入したり水を水道から確保したりするのではないだろうか

 

つまり、人と交流せずに一人で生きているつもりでも間接的に他の人間の力を借りている場合が多いのだ

 

これは恐らくヒトが誕生した時から今まで変わっていないことで昔は今以上に他人と生きるための共同活動をしていたのだろう

だから、孤独感と死の連想は昔からの名残で今にまで続く無意識に刻まれた本能だとも考えられる

 

ここまでの説明が意味不明、理解納得できないという方は心おきなくこのページを去って欲しい

 

 

孤独が死と結びつくから孤独を嫌うということが仮に正しいとして、ではどうやって孤独感を減らすことができるかを考える

 

 

これも私の意見でしかないが、承認される(承認欲求を満たす)ことが孤独感を減らしてくれるのではないかと考えている

 

他の人と一緒にいても感じる孤独というのを感じたことがあるだろうか?

私はあるのだが、不思議なことに一人でいる時以上に誰かといる時に感じる孤独の方が辛いのだ

 

では他の人といてどんな時に孤独ではないと感じられるかと考えたところ、自分自身の存在が他の人に認識されていると感じられる時、さらに自分の存在が肯定されている時なのではないかという結論に達した

それはつまり承認されている(承認欲求が満たされている)状態といえるだろう

 

 

ここまで長々と語ってきたがつまり言いたいことは、生きる活力(死を回避する動機)が欲しいという人は自身の承認欲求を満たし他者から肯定してもらうということを欲すればいいんじゃないかということだ

 

詳しくは語らないが私はギターを弾いていたことがあると語りそのことに良いねと言われただけでしばらく弾いていなかったギターを再開したことがある

そして、良いねと言ってくれた人との交流が減るにつれてギターを弾くモチベーションがどんどんなくなっていったのだ

 

こんな自身の経験から私の考えは間違っていないと思いたい

 

 

…まあ他人から承認されるってそんな簡単なことじゃないから孤独なんだよ(孤独感を感じるんだよ)って話なんだろうけどね

 

でも、今囲まれている人間からたまたま肯定されないだけでどこかに自分を肯定してくれる存在がいると思いたいしそんな環境を探そうとすることは自然なことだよね

 

私とあなたがそんな環境に巡り合えますように